2019年は羅久井ハナさんにとって多忙を極めた1年でした。
新居とアトリエの建築の計画と着手が2019年の年始に始まり、新しいアトリエが稼働したのは同年10月末。新しいアトリエの完成するその間も注文を受けたセミオーダーのリノカットをほぼ毎日彫り続けたそうです。
リノカットの制作のほかに、家の設計、引っ越し準備と忙しいさなか、海外での個展開催も行っています。
特筆すべきは、それが韓国からの招待というもの、さらに戦後最悪の国交関係と言われ始めた時期に敢行していることです。
今回は、韓国での初の海外個展の様子を中心にお伝えします。
韓国からの個展への招待
韓国から個展の開催を打診されたのは2018年のこと。それも実にていねいなEメールを受け取ったことから始まります。
リノカットのハンコは海外への販売も行っています。販売サイトはBASEで自ら構築。トリビアですが、海外向けの販売サイトもすべて自ら翻訳しています。お客様はほぼ全世界に及んでいるので、当初は海外からのハンコの注文だと思ったそうです。
やり取りは英語と日本語でこまやかに
オファーは韓国で藝術大学の教授を務める傍らギャラリー等の空間ディレクターとして活躍するチョン氏と、商品キュレーターでイベントのチーフディレクターを務めるキム氏の2名からでした。スタイリッシュな文房具とステーショナリーのセレクトショップとギャラリーが融合したその場所で、個展を開催するというもの。キム氏が羅久井ハナの作品を知って、推薦したのがきっかけです。
ショップの場所は韓国でも古い街並みに現代のモードが交差するモダンなストリート、聖水洞(ソンスドン)というエリア。個展が開催されたのはカフェ兼ギャラリー「or.er.」内、2階にある「point of view」というギャラリーです。審美主義を得意とする空間ディレクターのチョン氏とそのチームが彼女と作品の世界観に合わせてレイアウトもすべて取り仕切ります。
ディレクターをはじめ、スタッフの方たちが忙しく個展の準備をしていきます。当の彼女はただ見守るだけ。そこで彼女は自身と作品たちへのリスペクトあふれた姿勢に感動させられたといいます。
彼女の作品が一番引き立つよう、照明の明るさや作品の置台にまで神経を配る細やかさ。ていねいに彼女の作品たちを扱う様子は、日本では体験したことのない感覚だったとか。
キム氏とチョン氏の手腕に、プロフェッショナルの仕事を感じたそうです。
空間そのものが羅久井ハナのリノカットの景色に
できあがったギャラリーの空間はまさに羅久井ハナの描く不思議な、ノスタルジックな雰囲気の漂う景色に染まっていました。彼女はその光景を、「作品たちがピンと背筋を伸ばして、誇らしげにギャラリーを訪れた人たちを迎えていた」と例えます。
言葉をひとつひとつ選びながら話す彼女の言葉通り、景色が目に浮かぶようです。
個展開催にいたるまでに、彼女たちは英語で何度もやり取りを繰り返しました。母語でないからこそ、言葉を吟味して交わした結果がここにあります。
言葉の力は非常に強いことを彼女は知っているのです。発する言葉は母語であろうと外国語であろうと、相手を傷つけたり不快にしないよう常に気を配り、ていねいに扱っています。それゆえに返信などが遅くなることもあります。誠意をもって接する方法が言葉しかないときは、それに注力してしかるべきなのですね……
言葉を生業にするのなら、その姿勢、心しておきたいと感じた一瞬です。
ギャップを感じた日韓関係
その頃はすでに韓国との関係悪化が取りざたされ始めたこともあり、彼女なりに情報を収集して臨んだ個展でした。招待されたものとはいえ現地の治安や対日感情がどのようになっているのかがやはり気になるところ。反日感情で街も歩けないのかと思いきや、むしろその逆。彼女はこれほどのないまでに厚遇され、最後までそれは貫かれたのだとか。彼女自身、日韓関係についての情報収集は日本のメディアだけによるものではなく、海外の情報を主として集めていたといいます。できるだけニュートラルな情報を得ようとしたのだろうと感じました。
在廊中は取材の嵐
個展の開催のうち彼女が在廊したのは5月11日と12日の2日間。在廊中はアーティストとして盛沢山だったようです。リノカットの実演もさることながら、ファンサービスに取材と、目の回る忙しさだったことがTwitterでも語られています。
ファンの中には彼女への思いを日本語で書くために自学習し、直筆でファンレターをつづる人も。それを恥じらいながら直接手渡してくれたのは若い女性でした。その気持ちがうれしくて、今でもお守りのように彼女のデスクに大切にしまわれています。
個展の成功とリノカットの大量受注
この個展での体験が、彼女のアーティストとしての矜持をただすきっかけとなったようです。これまでもそうでしたが、これからも体力の続く限り、誠実にリノカットの製作を続けたいと。プロフェッショナルとして扱われたこの一件が、アーティスト・羅久井ハナを支え続ける柱になったことは確かです。
個展は大成功に終わり、オーダーも相当な数量を受注します。制作は日本で地道にこなし、発送は韓国のギャラリーで行う。発送は人任せになるわけですが、そのていねいな仕事ぶりに舌を巻くばかり。
日本における嫌韓意識を全面に出した情報と彼女が体験した現実はあまりにもかけ離れていました。その情報は本当に正しいのかどうか、自分の五感で確かめることが大切なのだと彼女のこの体験から感じます。
情報を見極め、偏った情報に惑わされない感覚を育むことが大切なのですね。
台湾での個展の様子
韓国での個展でほどなくして、台湾での個展も行われます。こちらも成功に終わり、アジアでの人気の高さを実感することができたようです。
これから先のこと インプットとアウトプット
将来のビジョンを彼女に聞いてみました。インタビューしたこの日は2019年末、手彫りハンコの納品がようやく終わり、ほっとしていたこともあったのでしょう。
これから先も作品を作り続けるために、自分の作品の源泉である幸福な体験や記憶を増やす活動をしたいと。それはたとえば旅行であったり、コンサートに行ったりすることかもしれません。お裁縫やお料理、猫との暮らしもそう。これまでリノカットの製作に追われて後回しになってきたことを、ほんのちょっと優先するのかもしれません。
大量の受注を受けても心身を壊すことないように体力作りもしたいと考えています。
バランスよく仕事に取り組むこともアーティストとして不可欠です。発想の源泉が枯渇しないように生活を充実させること、インプットを充実させることでアウトプットの質が担保されるのでしょう。新しいアトリエでこれから取り組む彼女の作品が、さらに味わい深くなることはまちがいありません。
取材を終えて
ファンを大切にする彼女は、多忙を極める中、記者が個人的に大ファンであったというそのことだけで今回の取材を受けてくれました。
ファンの喜びは、自分の推しているアーティストやクリエイターがビッグネームになっていくことにほかなりません。これからますます飛躍が期待される羅久井ハナさん、ナンスカではこれからも、彼女の活動を応援していきます。
クリエイター情報(2020年2月5日時点)
羅久井 ハナ
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