アトリエの奥にあるリビングで取材している景色は、まるで彼女の作るリノリウムの世界に紛れ込んだようでした。
今回訪れたのはリノリウムカット作家、イラストレーターとして活躍する羅久井ハナさんのアトリエです。
2019年の11月に竣工したばかりの新居のアトリエは、彼女のために設計されたといっていいほど。
アトリエは彼女が生み出す世界観をそのまま形にしたような場所でした。
リノリウムカットとは
リノリウムカットとはリノリウムを使用した版画のこと。リノリウム版画、リノカットともいいます。
技法は木版画と同じ凸版法です。素材のリノリウムは木よりも彫りやすく、油性インキとの相性がよいことと、インクののりが良いことから広い面でもムラなく刷ることができます。素材の軟らかさから、線の表現も柔らかく優しい印象になります。
羅久井ハナのリノカット
多くのリノカット作家の中でも、羅久井ハナの真骨頂は何と言ってもその世界観にあります。現実と想像が融合した不思議な世界。イラスト自体がまるで水墨画のような印象。デコラティブな線が少ない分、洗練された都会的な雰囲気がするのです。彼女の作品を素朴と表現する向きもありますが、なんだかそれはピンときません。
彼女の作品に共通するものは、「幸福な記憶」。ほのぼのとした、心がほっと温かくなるような幸せな感覚を、誰もが一度は体験したことがあるはず。そうした幸福な記憶を呼び覚ましてくれるのが彼女の作品なのです。「そんなことがあったなぁ」、「あのとき、こんなだったよなぁ」というおぼろげで頼りない感覚ですが、確かに自分を包んでくれていた幸福感を呼び起こしてくれるのです。
鳥ファベット
彼女の作品には多く「鳥」も登場します。彼女のお気に入りのモチーフの一つで、鳥とアルファベットが合体した「鳥ファベット」という作品群も。鳥ファベットは彼女のリノカット作品の中でもどちらかと言えばデコラティブなラインに入るでしょう。
ハナメを筆頭とする、くすっと笑えるキャラクターも
一方、イラストですが、LINEのスタンプにある「ハナメ」も彼女の作品の一つです。
ハナメを筆頭に、日常の何気ない、ちょっと笑える景色を小さなリノリウムの中に閉じ込めているのも羅久井ハナのもう一つのフェーズと言えるでしょう。
セミオーダー、手彫りのリノカットで世界でたった一つのスタンプを作り出す
彼女の作品は、愛好家にはたまらないオーダーサービスがあります。それがセミオーダーで手彫りであるという点です。
以前は完全フルオーダーだった時代もあるのですが、人気が出すぎてそちらは今クローズしています。それでもできる限りお客様の声を反映したいという彼女の気持ちから、セミオーダーのシステムとなりました。これがまた注文から7か月待ちという人気ぶり……。
オーダーフォームでは文字をはじめ、人物の性別を変えたり、人数を変えたりするのが可能なのです。これはアーティスト側にも好都合で、はじめの世界観はそれほど崩されることなく、自分のイラストで完結することができ、手彫りにすることでオーダーした人にとっても世界にたった一つのものになるのです。
量産できないからこそ
しかしながら、このシステムはアーティストにとっては酷であるとしか言いようがありません。人気が出れば出るほど注文数が増え、ワンオペの中、こなせる量は劇的には増えないため、終日手彫り作業に追われることも。几帳面で真面目な彼女は、彫りをほかの人に任せたり、頼んだりできないのです。というのも出来栄えが自分の思っているものと違ったとき、気弱な彼女はそのことをを伝えることができないから。
そんなことで気を揉むくらいなら、大変でも自分で彫る方がいいのです。
特にここ数年は、寝る間を惜しんでの作業が続き、本の挿絵やイラスト、リトグラフの仕事にも支障をきたすほどとなってしまうほど。そこで、ファンやオーダーしてくれた人に迷惑をかけないように、完成までに時間がかかってしまうことをオンラインショップでもていねいに伝えています。
その他の仕事 イラストレーターとして
彼女の作品はリノカットにはとどまりません。本の挿絵や扉絵など。リトグラフによる版画も活動の一つ。摺り上がり一つで作品の世界観を大きく左右するので、アーティスティックな要素が高まっていきます。
誠実で几帳面、彼女の人となりそのままの作品たち
羅久井ハナの作品は、彼女そのものと言っても過言ではありません。クリエイターやアーティストの作品が常にそうであるように、彼女の作品もまた、彼女のキャラクターを如実に表しています。さりげなく、清廉で、おとなしい。決して出しゃばらないけれど、きちんと自分の主張を静かにしているような、そんな感じなのです。
青山大学在学中の頃からはじめたクリエイターとしての活動がようやく実り、自身の活動だけで収入を得るようになった今でも、美大出身でないということが彼女のコンプレックスの一つでもあります。そのため、リノリウムに出会うことも手探りでした。
今でも美大出身でないということが、アーティストとしての活動の中で迷いを生むことがあります。しかし今は、自分の内在する世界を表現する方法を楽しみながら模索している毎日です。
彼女が自身に課していること、それは自分の作品たちを決して裏切らないことです。
それは彼女の作品を手にしている人、彼女のファンたちを裏切らないことにつながります。
印象深かった彼女の言葉があります。
「私の作品を愛してくれている人たちは、作品の中に、共通した幸せな感覚を見てくれている人だと思うのです。その人たちはどう感じるのか、本当のところはわからないのですが、私は私の考え方や暮らし方をファンが見たときに、その人たちをがっかりさせたくないのです。」
人は勝手なもので、クリーンでポジティブな虚像が打ち砕かれてしまうと、欺かれた気分になり、それが怒りとなって現れることがあります。そして虚像のころに築いていた一切の価値を全否定してしまいがちです。
少なくとも作品を通じて生まれた羅久井ハナ像と生活者としての彼女が決して乖離しないように、自身を律して仕事をし、暮らしていくことに尽力しているのです。
(つづく)
次回は、羅久井ハナの海外での個展についてと今後の活動についてフォーカスします。どうぞ、ご期待ください!
クリエイター情報(2020年2月5日時点)
羅久井 ハナ
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