12月28日はディスクジョッキーの日です。「DJ」というと、ピンと来る方も多いかもしれません。
楽曲を選曲し、音楽を流す役割を担う人物のことをディスクジョッキー、DJといいます。12月28日は、日本でDJとして活躍したとある人物の命日なのだとか。今回は、12月28日の「ディスクジョッキーの日」についてのお話です。
どうして12月28日がディスクジョッキーの日なの?
12月28日は、日本で初めてディスクジョッキーとして活躍した糸居五郎さんの命日なのだそうです。糸居さんの業績を偲び、ディスクジョッキー業界が発展することを祈った記念日として制定されました。
糸居さんは現在ニッポン放送で行われている『オールナイトニッポン』の前身番組となる『オールナイトジョッキー』を担当していた人物です。楽曲の選曲に力を注ぎ、1963年にはビートルズの「ラブ・ミー・ドゥ」を日本で初めて流したのが糸居さんなのだとか。「最初で最後の職人DJ」とも言われた存在です。
そもそもディスクジョッキーって何をする人のこと?
ディスクジョッキーとは既存の音楽の選曲をしたり、再生機で音楽を流す役割を担う人物のこと。英語で「Disc Jockey」と表記し、その頭文字を取って「DJ」といわれています。
以前は、レコード盤の操作ができる人のことを指していましたが、現在ではCD、デジタル音源など音楽の形態が変化してきているため、選曲したり、音楽を流す人を包括的にDJといいます。
ラジオDJという言葉を聞くと、イメージを持ちやすいかもしれません。ラジオパーソナリティとも言われ、音楽に関する仕事のほかに、番組司会者のような役割を担って、語りを行うこともあります。
ほかにも、クラブのDJ、ターンテーブリストなどもディスクジョッキーです。DJというとラジオのイメージが強いかもしれませんが、活躍の場はさまざまであるということですね。
ディスクジョッキーの歴史
ディスクジョッキーという存在が活躍するようになったのは、1940年の第二次世界大戦当時、みんなで集まって演奏に合わせて踊ることが禁止されるなど、抑圧された生活を余儀なくされていたことがきっかけです。
制限の多い状況のなかでも、フランス・パリではレコードを持ち寄って夜な夜なダンスパーティーを行うこともあったのだとか。生のバンドの音楽ではなくても、楽しめる方法を探したというわけです。
さらに1960年にはニューヨークにナイトクラブがオープン。曲を選曲して流す人をディスクジョッキーと呼ぶようになったのはこの頃だとされています。
ラジオとDJの思い出
ここからは私の思い出話を少し。
12月28日「ディスクジョッキーの日」が制定されるきっかけとなった糸居さんのように日本全域に放送されるラジオ局で活躍するラジオDJもいれば、各地域に根付くラジオDJもいますよね。私は地元・京都のラジオを聴くのが好きで、好きなラジオDJもいました。
今ではすっかり聴かなくなってしまったのですが、中学、高校時代にはラジオは夜のともだちのような存在でした。特に、今でも好きな「サカナクション」の音楽を知ったのは、好きなラジオDJの方が、ラジオで流してくれたから。サカナクションの楽曲「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」は衝撃の1曲でした。
ディスクジョッキーの選曲するという仕事は、聴く人へ大きな影響も与える、重要な役割なのだなとしみじみ思いました。
時代は変化していきますが、ラジオDJの役割は消えることはないでしょうね♪